(ふつう)とは、「悪くないな」と思える状態のこと|自炊料理家・山口祐加さん

#ひと

日々さまざまなこだわりや、習慣とともに生きている私たち。仕事で大切にしている決まりごと、暮らしの中で欠かせない習慣、人生で譲れないこだわり。そんなこだわりや習慣の積み重ねのことを、その人にとっての(ふつう)と呼ぶのではないでしょうか。

この連載では、そうした一つひとつのお話を通じて、さまざまな分野で活躍する人たちの(ふつう)を紐解いていきます。

今回お話を伺うのは、料理初心者や料理が苦手な人への「自炊レッスン」など、「自炊する人を増やす」をテーマに活動する自炊料理家の山口祐加さん。世界12ヵ国38家庭の家庭料理を取材した『世界自炊紀行』(晶文社)が話題の山口さんに、世界の自炊を眺めて変化した(ふつう)の自炊について伺いました。


ご飯と味噌汁、それにおかずをつけるだけ

当日は取材チームのために、昼食を作ってくださいました

——1年をかけて12ヵ国を巡り、その国々の自炊事情について探る『世界自炊紀行』。本当に面白かったです。その国、その土地でふつうに食べられている料理というものは、どうやって見つけるのでしょうか?

一般家庭の取材をさせてもらう時間以外では、その国の庶民的な食堂をひたすら巡っていました。食堂にあるのは、その国の料理の「型」なんです。ここはパンが主食なんだな、豆料理が多いんだなとか。

例えば、トルコでは日本でいう味噌汁のような存在として、どの食堂に行ってもレンズ豆のスープがついてくる。そのスープにレモンを絞って食べるんですけど、食堂の隅にくし切りになったレモンが山積みになっているので、自分で好きな個数を取って、自由に食べるんです。パンとレンズ豆のスープに、もう少し食べたい人はお肉を添えるのがトルコの基本の型。その国の人たちが日常的に食べているものは食堂に行くと分かるので、そういう場所をよく見るようにしていました。

——山口さんにも、日常的によく作る自分の料理の型のようなものはありますか?

それはもう、ご飯と味噌汁ですね。それに自分で作ったおかずや、買ってきたちりめん山椒や明太子など何かしょっぱいものをつける。日常の7割はこのメニューです。ご飯と味噌汁を作ると決めていれば、あとはおかずについてだけ考えればいいので楽じゃないですか。

——世界のさまざまな家庭料理を体感したうえで、それでもご飯と味噌汁という型は変わらなかったんですね。

日本はみんな頑張りすぎてると思います。和食や中華、イタリアンにエスニックなど、こんなにも食卓がバラエティー豊かなのは日本だけですよ。日常のご飯のレベルを上げてしまうと自分が苦しくなるから、この旅を終えて私はもっと適当にやろうって思いました。

帰ってきたらだいたい冷蔵庫に何かしら残り物があるので、それを順々に食べていく。そうしたらお腹は膨れるし、足りなかったらそのときは何か作ればいいかな、くらいになりましたね。


献立を考えないことの豊かさ

——世界の自炊事情を知ったことで、山口さんの中で変わったことはありますか?

毎回違うものを食べたいという気持ちが無くなりましたね。今までは一食一食がプレシャスだったので、冷蔵庫に残り物があったら家族の誰かに食べてもらって、自分は新しいものを作って食べていたんです(笑)。

でも今は2日連続で同じ献立だったり、昼も夜も同じ料理だったりしても気にしなくなって、それも「まあいっか」と思えるようになった。そう考えるようになってからは、すごく楽になりましたね。

——『世界自炊紀行』の中でも、手に入る食材が少ないことから食卓のバラエティが極端に少ない、というキューバの自炊事情から豊かさを見出していましたね。

彼ら彼女らは、献立を考えない分、心や時間に余裕があるように見えました。私は食事の選択肢が少なくても幸せに生きられることに衝撃を受けたんですよね。

その影響もあって、最近忙しい時は豚汁をたくさん作って、3日間豚汁を食べています。4日目からは、フランス風の豚汁を作ってそれをまた3日間。豚の塊肉に香味野菜と芋類、豆を一緒に煮込んだシチューみたいな感じのものですね。残りの1日を外食にすれば、1週間献立を考えなくていいんです。私はこれを「献立てない」と呼んでいます。

——献立てない。

日々、たくさんの人に料理を教えていますが、献立を考えるのが苦手という人がすごく多くて。これだけたくさんの人が言うのであれば、人類は献立を作るのに向いてないんじゃないかと最近は思っています。もともと狩猟生活で、その日に何が獲れるか分からない生活を長年営んでいたわけです。だから、スーパーで買ってきた野菜をとりあえず焼くとか煮るとかすればいいんだと思います。私には、みんな向いてないことをして辛くなって、それで料理への苦手意識が生まれているように見えますね。

——どんな料理を作るかレシピから考えるのではなくて、この野菜はどんな調理をしたら美味しく食べられるか、みたいに考えていけばいいと。

料理に苦手意識を持つ人は、レシピがないと料理を作れないとよく言いますよね。私はレシピとは補助輪のようなものだと思ってるんですけど、その補助輪を外せなくなってしまう人がいるのかなと。

私は料理を小学生から始めたこともあって、中学生の頃からはもうレシピを見ずに料理を作るようになっていました。逆に子どもだから手放しやすかった、というのもあるんでしょうね。大人は体よりも先に頭で考えているところがあると思うので、ガチガチになりやすい。でも、個人的には日々の料理で毎回レシピを使うのって不合理だなと思います。だって、レシピを探すのって面倒だし、大変じゃないですか。

——レシピは「料理の再現性を高める」という点では、たしかに合理的ですよね。ですが、その合理的なはずのものが、「日常の料理」という場面ではかえって不合理、という話は面白いですね。


自分にとっての「いつもの道」をつくること

この間、料理教室の参加者から聞いてちょっとびっくりしたことがあるんですけど、その人はレシピを見ながら作るときは味見をしないらしいんですよ。だって、レシピ通りなら絶対に美味しいに決まっているから。レシピはもちろん信頼してもいいけど、結局使う食材の大きさや調味料の味の濃さなど細かな条件が個人によって違うので、味見は必須ですよとお伝えしました。

―—その方の言っていることも、感覚としては理解できるかもしれないです。

料理はよく音楽に例えられます。例えばカラオケで同じ曲を歌っても歌う人によって違う歌になりますよね。だから、同じ料理を作っても、同じ味になることはないと私は思っています。この料理に対して、この塩分量だと自分の舌には少し濃いから減らそうかなとか、そういうことがだんだんと分かってくる。もちろん、王道の味を知ったうえでのアレンジなので、最初はレシピを見ながらでいいと思いますけどね。数回作ったら、あとは自走するのがいいんじゃないかなと。

―—僕もレシピを見て料理をするタイプですが、レシピを見ないと、途端に何をどの手順でどう作っていいのか分からなくなるというか。料理に対して構えてしまうときがありますね。

私が料理を作るときは、体が勝手に動いてくれる感覚なんですよね。例えるなら、車の運転をするときって、慣れた道ならあまり頭を使わないですよね。初めての道だと違うかもしれませんが、家の近所だったら何も考えずに運転ができると思うんです。料理も同じことかなって。

——というと?

同じ道を通るように、料理も何度も同じ料理を作ればいいんです。何度も通るから覚えているような道を、料理で作る。

例えば、パスタをよく作る人なら、パスタを作るときに、迷うことは少ないですよね。パスタを作るということが決まっていたら、それをオイルベースにするか、トマトベースにするか、ちょっと頑張ってクリームパスタにするとか。そこまで決まったら、あとは具材として何を足すかを考えるだけ。何を入れるかによって、季節の旬を楽しむこともできますし、考えることが少ないなら、考える時間自体を楽しむ余裕も出るじゃないですか。

——なるほど、確かに料理に苦手意識がある人は、毎回違う料理に挑戦していそうですね。

だから、まずは自分にとってのいつもの道を作ってみればいいんじゃないかなと思います。


出来立てや温かいうちに食べなきゃいけない、という感覚を手放した

私、さまざまな国の家庭料理を体感してから、料理が温かいとかぬるいとか、こだわらなくなったんですよね。

それまでは、少しでも自分の理想よりぬるかったら温め直したりしていたんですけど、今はこういうもんだよね、という感覚。理想の温度マイナス10℃くらいまでは許容できるようになりました。

—―料理の温度を気にするのは日本だけなのでしょうか?

和食は、基本的に全部温かいじゃないですか。ご飯もあったかいし、あえてぬるく出される味噌汁なんてない。海外でも、もちろん出来立ては温かいですけど、冷めた料理を食べるときに温め直すなんてことはないですね。そもそも主食がパンの国だと、パンは常温で置いてありますし。

―—なるほど。

私は食事が好きなので、一番美味しい状態で食べたいし、他の人にも一番美味しい状態で食べてほしいと当たり前に考えてました。だから夫にも、いつも温かいうちに料理が食べられるように呼びかけるのに、夫は仕事をキリがいいところまで終わらせたいからなかなか食べてくれなくて。昔はそれにイライラすることもあったけど、今はもういいやと思えてます。

どうやら、人によって食べやすい温度は違うみたいなんですよ。うちの夫は暑がりだから、少し冷めた方が食べやすいらしくて。そう考えると、出来立てが美味しいとか、どの温度で食べるのが美味しいっていうのは、大袈裟に言えば作り手側のエゴだったんだなと。

——確かに、食べ方を指定しているようなものですからね。

世界の自炊文化を取材してみて気づいたのが、同じ店、同じ料理でも、人によって食べ方がまったく違うということが起こり得ること。フランスの家庭では1枚1枚剥がしたレタスがそのまま出てきました。食べたい枚数だけ取って、オイルやマヨネーズとか自分で味つけをして食べるんです。なんて合理的なんだろうと思いました。

韓国もそうです。チゲだと、100℃くらいのグツグツした状態で提供されるんですけど、ナムルコーナーや唐辛子コーナー、にんにくコーナーがあって、チゲに入れたいものを自分で選んで好きに入れるんです。カクテキをそのまま食べてもいいし、チゲに入れて火を通してもいい。最初からご飯を入れて雑炊のように食べる人がいれば、途中まではスープとして食べて、後半から雑炊にする人もいる。調理の可能性を食べる人に任せるって、すごく豊かだなと思ったんですよね。

——そうなると、みんなが自分の好きな味付けで食べるのが前提になるってことですよね。

だから、最初から薄味なんですよ。韓国版ナンプラーみたいな、オキアミの塩漬けとかがあるから、それを入れたら旨味も塩味も足せるから各々で調整する。濃いものを薄くするのは難しいですけど、薄いものを濃くするのは簡単なので。このやり方だと、子供でも食べられるし、みんなが好きな濃度で食べられるから、食べる側も嬉しいですよね。今はこういうのが良いなと思うようになりました。


(ふつう)とは、「悪くないな」と思えること

—―山口さんにとって(ふつう)とは、なんですか?

「悪くないな」ですね。「良い」は青天井です。だから「悪くないな」って感じ。

料理も健康も突き詰めていくと、どこまでも健康になれるとは思うんです。ただ、そうすると社会生活から離れていってしまう感覚があります。私は3ヶ月間だけ、砂糖と小麦、乳製品を断っていたことがあるんですけど、そのときは外食が一切できなくて友達と何かを食べに行くという社会生活が送れなかったんです。そのときに、健康を追求しすぎるのも考え物だなと思いました。私には健康をとことん突き詰めた生活は、つまらなかった。もちろん、心地いいと思えてる人はいいと思います。

だから、私にとっては「悪くないな」がちょうどいいんです。

—―「良い」でもなく「悪い」でもなく、「悪くないな」。

先日、ある日本人シェフのドキュメンタリーを観ました。常に理想の料理を追求し続けるその方の姿勢を見て、私はその気持ちがいつかポキッと折れてしまわないといいなと思いました。

ストイックに料理と向き合うことで自分を奮い立たせている一方、きっと孤独も抱えているんじゃないかなとも思ったんです。私自身がそうですが、料理を仕事にする人は、誰かに作って喜んでもらえた経験がスタートであることが多いと感じていて。でも、モアベターを目指しすぎると、もう戻ってこれないところにたどり着いて、孤独になってしまうこともあるだろうなと。

—―山口さんは孤独を感じることはないですか?

私は「自炊料理家」なので、選んだ場所が良かったなと思います。なんせ自炊なので、自分で勝手に作って喜んでるだけでも問題がない。

これが飲食店だと途端に評価をされる場になりますが、自炊は自分のための料理なので、味が薄くてもそれは自分の健康維持のためのもの。料理単体ではなく、作り手が持つ文脈の中にある料理が自炊なんです。だから料理を通して、私が孤独を感じることはないのかな、と思いますね。


山口祐加(やまぐち・ゆか)

自炊料理家。1992年生まれ。東京都出身。出版社、食のPR会社を経て独立。7歳から料理に親しみ、料理の楽しさを広げるために料理初心者に向けた料理教室「自炊レッスン」や小学生向けの「オンライン子ども自炊レッスン」、レシピ・エッセイの執筆、ポッドキャスト番組「聞くだけでごはんができるラジオ」などは多岐にわたって活動中。
著書に『世界自炊紀行』(晶文社)、『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』(晶文社/紀伊國屋じんぶん大賞2024入賞)、など多数。

公式ホームページ: https://yukayamaguchi-cook.com/
Instagram: @yucca88
X: @yucca88

この記事を書いた人
早川大輝

1992年生まれ。Web系編集プロダクションから独立後、フリーランスの編集者・ライターとして活動しながら、最近ではYouTubeやPodcastのディレクションも。企業のオウンドメディアのほか、ドラマ・お笑いなどのエンタメや食にまつわるコンテンツ制作を行う。
X: @dai_nuko
Instagram: @uron_oolong

土田凌

1992年生まれ。人材広告会社勤務後、フォトグラファーとして独立。2024年8月にトルコの国花であるチューリップ(ラーレ)をモチーフにした写真集『LALE』を刊行。
Instagram: @ryotsuchida