(ふつう)とは、自分の立ち位置を確認できるもの|『乃木坂しん』店主・石田伸二さん

#ひと

日々さまざまなこだわりや、習慣とともに生きている私たち。仕事で大切にしている決まりごと、暮らしの中で欠かせない習慣、人生で譲れないこだわり。そんなこだわりや習慣の積み重ねのことを、その人にとっての(ふつう)と呼ぶのではないでしょうか。

この連載では、 そうした一つひとつのお話を通じて、さまざまな分野で活躍する人たちの(ふつう)を紐解いていきます。

今回お話を伺うのは、9年連続でミシュラン一つ星を獲得し続ける日本料理店『乃木坂しん』店主の石田伸二さん。(ふつうの)ショップの「(ふつうの)ぽん酢」や「(ふつうの)胡麻だれ」、「(ふつうの)煎り酒」の監修者でもあります。より多くの人に日本料理を楽しんでもらいたい、という想いで店を営む石田さんに、料理やお客様と向き合い続ける中で変化した(ふつう)について伺いました。


日本料理をもっと身近な存在にしたい

―石田さんは、『乃木坂しん』を「日本料理の入門編でありたい」という思いで経営されているそうですね。

石田:日本料理は、多くの日本人にとって遠い存在になってしまっていると感じるんです。例えば、イタリア料理と言えば「ピザ」や「パスタ」がすぐに思い浮かびますよね。中華料理だったら「麻婆豆腐」や「チャーハン」とか。

でも「日本料理は?」と聞くと、言葉を詰まらせてしまう人が少なくない。「みそ汁」や「ご飯」と答える人もいるかもしれませんが、それが日本料理かというと、少し違うと思うんですよね。

―いわゆる「和食」とは違う考え方ということでしょうか? 日常の家庭料理ではなく、お店で食べる料理というか。

石田:そうですね。『乃木坂しん』も10年目に入り、お客様と直接お話をする機会が増えてきて思うのですが、日本料理は「高級なイメージがある」とか「作法などが厳しくて、食べるときに緊張しそう」というイメージを持たれていることが多くて。日本料理が一部の人だけのものになってしまっているのかなと。それは自分の中では、残念に思っています。

―日本には「ハレとケ」という概念がありますが、日本料理は「ハレ」の日に食べる料理というイメージで良いのでしょうか?

石田:そのイメージで合っています。だから、毎日食べるような料理ではない。それでも、昔はもっと身近だったと思うんですよね。僕みたいな田舎の出身でも、近所の仕出し屋さんの料理を法事や結婚式のときに食べていた記憶があります。

だからこそ、『乃木坂しん』は、家族の誕生日だったり、夫婦の結婚記念日だったり、そういうお祝い事のときにパッと思い浮かぶ身近な存在でありたいなと思いますね。

―『乃木坂しん』では、YouTubeなどさまざまな媒体を通して日本料理に対する「ハードルを下げる」発信をし続けているように見えます。

石田:僕は料理人なので、自分のことを知ってもらう一番のツールは料理じゃないですか。でも、その料理をお客様に理解してもらうためには、食べてもらうだけでは足りない。自分の言葉で料理の価値を伝え、お客様の満足度を高めていくこと。この努力を怠ってはいけないと思っています。

―料理の価値をお客様に伝えるために、お店での体験でこだわっていることはありますか?

石田:そのままの回答になってしまいますが、「伝える」ことを大切にしています。お店がカウンター席なのもその理由です。カウンターであれば、僕が目の前で料理のことをお客様にお話しできますよね。なぜこのタイミングでこの料理を出すのか、この料理のこういうところが美味しいんですよって。

その話し方もお客様によって変えています。料理を楽しみたいのか、料理とお酒を楽しみたいのか。お客様が何を求めてお店に来てくれたのかを見極めて、それに合わせて10秒の説明、30秒の説明などを使い分けています。


料理を通して、お客様の記憶に残る「新しい発見」を届けたい

―石田さんが料理人として、大切にしている考え方はありますか?

石田:お客様に対しても、自分の作る料理に対しても、正直でいたいと考えています。

―自分の作る料理に対して「正直じゃない」とは、どのような状態でしょうか?

石田:妥協することでしょうか。やっぱり商売として料理を作っていると、時間とお金の制約は避けられません。どこかで諦めなくてはいけない部分はあると思いますが、それを自分都合の理由ではしたくないと、常々思っています。お客様を喜ばせるのが僕らの存在意義なので。

―お客様を喜ばせるためには、どのような部分が大事だと考えていますか?

石田:美味しい料理を作ることは大前提として、お客様にとってサプライズがあるような時間にはしたいなと思っています。いつも一緒にいるような恋人でも、ふと知らない一面を見たらドキッとするじゃないですか。料理も同じで、知っている食材の知らない味を知ったら、驚きがある。そういう体験は記憶に残るので、お客様の人生の中にうちのお店の思い出が残ってほしいという思いがありますね。

―お客様にそうした発見や驚きを与え続けるためには、石田さん自身が常に新しい情報を取り入れ続ける必要がありそうですね。

石田:話していて気づきましたが、「人がやったことがないこと」をしたいという気持ちが強いのかもしれません。料理でも、他の人がやってそうだなと思ったらやらないことが多いんです。他の人だったら面倒でやらないことでも、僕はやる。それを続けているうちに、自分ができることも増えていったのかな。


何でもやるようにしていたら、いつの間にか自信がついていた

―そうした考え方は、料理人としての向上心とも紐づいているのでしょうか?

石田:向上心……なるほど。僕は向上心があるのかもしれないですね。このお店を始めたとき、全然自信がなかったんですよ。お客様から料理が美味しいと言われても「本当ですか……?」と思ってしまうくらいで。

―今の石田さんを見ていると意外ですね。

石田:今なら「ありがとうございます! 美味しいでしょ」と言えますけどね。

最近は仕事に関するトライ&エラーが楽しくて仕方ないです。毎年この時期は鱧の骨切りを自分でやるのですが「この角度で包丁を入れた方がいいんじゃないか」とか、いろいろと考えながらちょっとずつ向上させていくのがめちゃくちゃ嬉しくて。

―面倒でも何でもやる、そうやってたくさんの技術を吸収してきたから、自然と自信に繋がっていったのかもしれないですね。

石田:確かに、お客様から「すごく良くなったよね」「なんか変わったよね」と言われるうちに、いつの間にか自分で自分のことを褒めてあげられるようになっていましたね。これでいいんだって。そうやって、本当に少しずつ、赤ちゃんが階段を上るようにして成長していった気がしますね。

昔は間違ったことを言っていないかを気にして、自分が考えていることを言葉にできなかったんですよ。ちょっとずつ自信が芽生えたから、こういう風に喋れるようになったのかもしれないです。


閉店後、一人包丁を研ぐ時間で自分と向き合う

ー『乃木坂しん』を始める前と後で、料理人としての石田さんの(ふつう)は何か変わりましたか?

石田:意外だと思われるかもしれないのですが、包丁などの調理道具を今まで以上に大切にするようになりました。

石田:僕はキャリアのスタートが料亭だったので、お客様の姿が見えないところで料理を作っていたんです。目の前の料理だけを見て、手早く美味しく作ることに集中していたので、今思うと「調理人」だったんだと思います。それが『乃木坂しん』を始めて、カウンターでお客様と対面するようになると、料理は常にお客様のことを考えながら作るものになった。そこでやっと「料理人」になれたような感覚があります。

―「調理人」と「料理人」。

石田:包丁一つとっても、「食材を切るためだけの道具」ではなく「こいつがいるからお客様の前で料理ができる」という感覚が生まれたんです。だから、道具への愛着は強くなりましたね。

具体的にいうと、包丁を研ぐ頻度が増えました。週に1回は研いでいますね。休みの前の日に従業員がみんな帰ったあと、一人で静かに研いでいます。

―閉店後、一人で包丁を研ぐ時間は、石田さんにとってどういう時間なんですか?

石田:その週の反省だったり、今度使ってみたい食材について考えたり、営業時間中に考えられないことを整理する時間になっていますね。プライベートのことも含めて、いろいろなことを考えています。ただ、誰にも邪魔されたくない特別な時間であることは確かです。


(ふつう)とは、自分の立ち位置が確認できるもの

―石田さんにとって(ふつう)とは何でしょうか?

石田:僕にとっての(ふつう)は、自分の立ち位置や現状を確認できるものだと思います。(ふつう)って自分にとっての「当たり前」という意味じゃないですか。その当たり前が、世間的に見てどの程度のものなのかを知ることで、自分の成長度合いが分かる。

例えば、若い頃は休みの日にワンコインで食べられる牛丼屋に行っていたのが、今は知り合いのレストランに行くようになっているとしたら、それだけ食事にかけられる金額が上がっているということですよね。

お店も10年やっていると、常連のお客様がたくさんいらっしゃって、その中には普通に生活していたら出会えなかったであろう方たちもいる。そういう方たちが「今日の料理、美味しかったよ」と面と向かって伝えてくれるとき、昔よりは認められるようになったんだなと思います。

―そういう意味では、(ふつう)のレベルは引き上げていくべきものだと思いますか?

石田:僕にとって現状維持は衰退と同じなので、引き上げていくべきだと思います。ただ、衰退への恐れよりも、レベルが上がることへの喜びの方が強いですね。徳島の田舎から何も分からず東京にやってきて、がむしゃらに30年やっていたらこんなところまで来ることができた。だから偉いとは思わないですが、過去の自分には「頑張っただろ」と言えるかなって。

もちろん、日々の行いがその先の未来に繋がっていると思うので、目の前の仕事と向き合い続けることを怠ってはいけないなと、引き締まる気持ちがありますね。


乃木坂しん

石田伸二さん

1996年に徳島の料亭に入社。本店、各地のグループ店にて調理とサービスの経験を積む。
東京・銀座の星付き日本料理店(当時三つ星)に入社。同年8月にグループ店料理⻑に就任。
帰国後、同店料理⻑に就任。飛田泰秀氏の目標に共感し、日本料理業界での⻑年の経験をもとに、日本料理「乃木坂 しん」を開店。 同年、オープンから半年でミシュランガイド東京2017において一つ星を獲得〜現在まで一つ星を獲得。

この記事を書いた人
早川大輝

1992年生まれ。Web系編集プロダクションから独立後、フリーランスの編集者・ライターとして活動しながら、最近ではYouTubeやPodcastのディレクションも。企業のオウンドメディアのほか、ドラマ・お笑いなどのエンタメや食にまつわるコンテンツ制作を行う。
X: @dai_nuko
Instagram: @uron_oolong

湯本浩貴

1993年生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。2017年より写真家 上田義彦氏に師事。広告、CM、映画制作などを経験。2023年に独立。写真/映像と両方の分野でジャンルにとらわれず活動。第40回Canon写真新世紀佳作。
Instagram: @hiroki_yumoto